では馬体だけ見ても意味がないかと言えば、そんなことはない。やはり馬体がいい馬というのはちゃんと存在しますし馬を判断する重要な要素だと思います。
でも、こうも考えます。馬の絶対能力を決めるのは血統を背景とした、内面の強さ=心肺能力、筋力など。馬体はあくまでその能力をどれだけ引き出せるかという要素であって、どんなに形が完璧に近い馬であっても元々の能力が低ければそれなりの活躍しか望めないということ。
つまり馬の最終的な能力を決めるのは、血統期待値から馬体による減点を差し引き、さらに精神力の要素(気性)を考慮したものとなるということです。血統期待値は良血であれば当然偏差値は高くなりますがやはり個体別で考えると確率論的、またそこで決まった能力を活かすも殺すも馬体と気性次第だということです。簡素化するためかなり強引な言い方になってますが大筋はこんな感じでとらえています。
現役時代は気性が悪く(あるいは馬体に欠陥があり)大成出来なかったが、種牡馬(繁殖牝馬)といて大成功したという例がよくあります。先ほどの話でいくと、こういった馬は元々の血統を背景とした絶対能力が非常に高かったにもかかわらず、その他の要素が与えるマイナス面が多すぎて、持てる能力を全く発揮できていなかったということです。種牡馬は血統だけでなく形や気性も仔に伝えますが、そこは確率論、相手次第でマイナス面を抑えこむことが出来れば産駒は素晴らしい活躍を見込めるわけです。
そういう風に考えると、馬体で馬の能力全てを計ろうとするのは無理だということになります。ただし、血統を考慮しつつ的確な馬体を判断することで「確率を最大限高める」ことには繋がるわけです。言い換えると「ハズレを引く確率を下げる」。血統による能力決定が確率論である以上、目で見て判断できる馬体という要素は馬を選ぶ際に非常に役に立つと思います。僕はこの仮定に基づいて馬の能力について考えるようにしています。
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